理化学研究所

9年で3個、400兆回の衝突の末

「待っていれば、絶対に来る」

2012年8月、3個目の113番元素の合成を確認したときの気持ちを尋ねると、森田浩介准主任研究員はそう答えた。それは、30年近く超重元素の合成に取り組んできた者だけが口にできる言葉だろう。ここに至るまでの長い軌跡を振り返ってみよう。

「1984年に私が理研に入ったとき、加速器“リングサイクロトロン”の建設が進んでいました。私は、そのリングサイクロトロンを使って新しい超重元素を合成するために採用されたのです。実は、超重元素の合成についてよく知らず、こんなに難しいとは思っていませんでした」と森田准主任研究員。

超重元素とは、原子番号104番のラザホージウム(Rf)以降の重い元素をいう。原子核は陽子と中性子で構成されており、陽子の数が原子番号、陽子と中性子の数の合計が質量数で、質量数は元素記号の左肩に示す。自然界に安定して存在する元素は原子番号92番のウラン(U)までで、93番以降の重い元素は加速器を使って人工的に合成することでその存在が確認されてきた。原子番号が大きくなるほどプラスの電荷を持つ陽子同士の反発が強くなり、合成が難しくなる。1984年当時、合成に成功していたのは109番のマイトネリウム(Mt)まで。110番より重い元素を合成することが、森田准主任研究員に課せられたミッションだった。

「超重元素は、加速器で加速した原子核のビームを標的の原子核に衝突させ、核融合を起こすことで合成します。私はまず、ビームの原子核や、ビームによってはじき出された標的の原子核、ビームと標的の原子核の一部が融合した不要な生成物などを取り除き、目的の原子核だけを効率よく確実に分離し、半導体検出器に導くための装置の開発に取り組みました。それが気体充塡型反跳核分離装置“GARIS(ガリス)”です」

リングサイクロトロンは1986年12月に完成。GARISをその下流に設置し、翌年から超重元素探索の準備実験を開始した。しかし、スムーズな滑り出しとはいかなかった。

「リングサイクロトロンを利用できる時間が少なかった上に、原子核ビームの強度が弱く、超重元素を合成できる状態ではなかったのです。それでもできることを細々とやっていました」

108、110、111番元素で力試し

幸運は突然やって来た。

「新たに超伝導リングサイクロトロン(SRC)を建設することになり、GARISのある部屋がビームの通路になるため、GARISを移動しなければならなくなったのです。その機会にGARISを重イオン線形加速器RILAC(ライラック)の下流に移動しました。それまではRILACから取り出されるビームではエネルギー不足のため、超重元素の合成は不可能でした。ところがSRC計画の必要性から、エネルギーの増強のための改良がなされ、RILACでの超重元素合成が可能になったのです。またGARISの改良も行い、性能が大幅に向上しました」と森田准主任研究員。

「こうして本格的に超重元素の探索実験が始まりました。2001年のことです」

2001年当時、超重元素の合成は原子番号112番まで進んでおり、107番から112番までの元素はすべて、ドイツ重イオン科学研究所(GSI)によって合成された。森田准主任研究員らは、GSIが合成した元素の追試から始めた。すると、わずか1週間で108番元素を10個合成することに成功。110番の合成にも成功し、さらに111番を50日間で14個合成した。

「私たちには新しい超重元素を合成する能力が十分あると確信し、2003年9月5日から113番元素の合成実験を開始しました」

112番の追試を飛ばしたのは、GSIが113番の合成実験を8月から始めたという情報が入ってきたからだ。GSIは113番元素の合成を確認できないまま、11月に実験を終了。森田准主任研究員らも年末まで実験を続けたが、113番元素の合成は確認できなかった。次の実験開始は2004年4月。113番ではなく、あえて112番の合成を行った。すると、約1ヶ月間で2個の合成に成功。

「GSIは4年かけて2個でした。私たちはGSIの能力を確実に超えている。必ず113番元素を合成できると確信しました」

2004年7月23日、1個目の合成に成功

2004年6月、リングサイクロトロンが故障。これが思わぬ幸運をもたらした。RILACは使えたので、9月から予定されていた超重元素の探索実験を7月から行うことになったのだ。

そして2004年7月23日、113番元素の合成を確認した。原子番号30、質量数70の亜鉛(70Zn)の原子核をRILACで光速の10%にまで加速させたビームを、原子番号83、質量数209のビスマス(209Bi)の標的に照射。その結果、209Biと70Znが核融合を起こし、原子番号113、質量数278の元素278113が合成されたのだ。

「2004年7月23日の午後6時55分でした。“今日はこれで帰ります”と言って計測室を出ようとした研究員の森本幸司さんが突然、“森田さん! これ見てください!”と叫んだのです。“本当かよ?”というのが正直な気持ちでした」と森田准主任研究員はその瞬間を振り返る。半導体検出器は自動解析を行っていて、113番元素を捉えるとコンピュータの画面に表示されるようになっていた。

「落ち着け、間違いかもしれない、と自分に言い聞かせながらコンピューターの画面を見たのですが、間違いなく113番元素を捉えていると分かり、鳥肌が立ちました。森本さんに原子核が崩壊を始める時間と放出するエネルギーを解析してもらったものの、森本さんも私も手が震えてキーボードが打てませんでした。それでもなんとか原子番号107のボーリウム(266Bh)までは解析し、そこからはすでに帰宅していた研究員の加治大哉さんに来てもらい、残りを解析してもらったのです」

※ホームページ公開時ページタイトル部に間違いがあり「400兆回の衝突の末」と訂正いたしました。

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